音楽における楽しさってなんだろう?

こんにちは。迎です。

最近の話

https://twitter.com/impriCond/status/1352583817735725059?s=20

ミュージシャン兼エンジニア(逆ではない)の僕は、昨年末からQiitaに技術ネタを載せるようになりました。まだ2本だけど。
なんか、最近は
「全部うまくできました!すごいね!」
ってかっこつけて言うんじゃなくて、
失敗したこともそこから色々考えたこともノウハウなんだよなってことにようやく気づいたんですよ。
と、いうことでやってることを、体裁とか考えず、とにかく残すってことを積極的にやってます。

そうすると、こうやってQiitaとかにラフに記事を出すことが苦ではなくなるんですよね。
そして、view数を見ることで、どのくらいの人に役に立ってる可能性があるのかがわかるのもまた良い。
それは、インプリのブログも同じかなぁ。

今日の本題

前回のブログで、いかに、音楽は苦行かを書きました。

果たして、音楽における「楽しさ」ってなんなんだろうか。
また、宗教論的なことを語りだす予感しかしないでもない。

ま、聞いてくださいよ。僕のいち個人の考えであって、正解でもなんでもないですから。

きっとね、楽しさっていうのは、「解放」なんじゃないかな。
音楽には不自由が無いと思うんです。
歌を想像するとよく分かると思うんですが、歌詞の中ではなんだってできるんですよ。
大恋愛をすることも、世界をまたにかけるスターになることも、人間以外のものにだってなれるし、まだ誰も見たことも体験したこともないような空想の世界を作り出すことだってできる。
それは、インストだって同じ。
曲を聞いたときに、それが海の中の話だ、と思えばそこには海の中の世界が広がってるし、きっとそこでは息もできるしお話もできる。
宇宙の話だったら、きっと宇宙服すら着ずに自由自在に宇宙を飛び回ってるでしょ。

音楽には不自由が無い。
つまり、それは我々の生活におけるいろんな制約や呪縛からの「解放」だと思うんです。
非日常だから、きっと楽しいんですよ。どれだけの苦行が積み重なっていても。

僕ら演者はもちろんですが、きっとその非日常の空間を楽しむことができるお客さんもまた「解放」された結果今日のライブは良かったなと感じてもらえるんだろうね。

だとすると、ライブというのは、きっとみんなで「解放」されることがゴールなんだろうな。
僕らがお客さんをそこへ導くわけでも、お客さんが自発的に動くのでもなく。
連鎖反応、共同作業なんだよね。

ちょっと話はそれましたが・・・

だからね、

このGMのブログ、最後にあった「早く不自由なく音楽を楽しめる」って言葉がやけにぐっときてしまったんですよ。

矛盾した状態なんだよなぁ、今って。
音楽っていつまでたってもアナログですからね。

きっと近いうちに、ライブのVR配信とかも始まって、一般的なスピーカーもハイレゾが標準になってWi-Fi 6とか5Gのおかげで普通にハイレゾ音質で配信もできるようになるんだろうと思います。
あ、でもWi-Fi 6はちょっと期待はずれ感が強いから、次世代に期待かな。

だけど、生でライブを観る以上の感動はきっと無いんですよ。
VRで一番いい席で擬似的にライブ見たところで、きっと次は会場に行きたい!ってなるだけでさ。
よく知らないけどちょっと興味があるアーティストを好きになるきっかけにしかならないんですよ。

生で、現場で体験しないと、絶対に伝わらないいつまでたってもアナログな世界です。
だから、時代にあった音楽の形とかって言われても結局無理なんだよ。
不自由なら、自由になれる別の手段を探せばいいじゃないかってことがきっとできない。

音楽における楽しさ、これが「解放」だという僕の考えもきっとこの先ずっと変わらないような気がしてます。

と、いうわけで前回から2度に渡って語ってきたこの持論のお話は完結です。

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