デザインの立ち位置

SONYでは、同業他社の製品は全て基本的に同じ技術を使っていて、価格、性能、そして特徴に差はないと考えている。
市場において製品を差別化できるものは、デザインをおいて他にない。

大賀典雄(sony 前会長)

先日、山形県立美術館へ行った。山形県立美術館はミレーの作品を中心にバルビゾン派の絵画をコレクションしている。バルビゾン派、特にミレー(特に『晩鐘』は最高だ)が大好きで、これは一度行かねばならんと思っていた。

展示されている中で有名な作品で言えば、『種を蒔く人』(岩波書店のマーク)、『落ち穂拾い、夏』なんかがあるぞ。個人的オススメは夭折した最初の妻を描いた『ポーリーヌ・V・オノの肖像』。愛を感じる絵というのはただ事ではないですよこれは。

やはり常設展はゆっくり静かに観ることができて良い。ミレーを観れ。山形の山寺後藤美術館、パリのオルセー美術館にも行かねばなぁ、と思う今日この頃。

ところで、特別展で『デザインあ』展をやっていた。『デザインあ』。NHK教育やBSプレミアムで放送している子供向けのデザイン番組だ。(制作指揮が佐藤卓、音楽がコーネリアスっていうのが個人的にポイント高い)

デザインには、工業デザイン、グラフィックデザイン、服飾デザイン、建築デザイン、照明デザインなど、様々な分野があります。それらすべてのデザインは、物事の本質をしっかりと見出し、そこに工夫を加えることで、さらなる使いやすさ、美しさ、心地良さを実現することを目的としています。つまりデザインとは、人とモノ、人と人との関係を「より良くつなげる」ための観察・思索・知恵・行動のプロセスです。

「デザインあ」は、私たちの身の回りに当たり前に存在しているモノをこうした「デザイン」の視点から徹底的に見つめ直し、斬新な映像手法と音楽で表現。こどもたちに「デザインの面白さ」を伝え、「デザイン的な視点と感性」を育む一歩となることをめざしています。

デザインあ 公式ページより

『デザインあ』展、展示に触れている幼稚園~小学校低学年くらいの子どもたちが笑顔いっぱいで非常に楽しそうで何よりであった。それを見る大人たちも幸せそうで、超超超いい感じ。超超超超いい感じ。展示されていた作品たちは、まさに「デザインの面白さ」を伝えるアートになっていた。

「でも、デザインってなぁに?」と親戚のお子さんに聞かれた時に皆さんは何と答えるだろうか? 今回は、素人ながらではあるが、デザインとその他諸々との関係についての考えをまとめ、事前にポイントを稼ぐ準備をしておこう。(というか、上の引用が正解なんだろうけど)

デザインの立ち位置

デザイン。生活に密接に関係しているような気がするが、素人からすればぼんやりした、アジャイルなリスクヘッジ的な感じのする言葉だ。何故だろうか。思うに、あまりに我々に近過ぎてデザインだと認識できないが故ではないか。

デザインとは、人工物の機能・形であるように思う。モノやユーザーがあるところには必ずデザインがある。あらゆる人工物はデザインされている。もっと極端なことを言えば、宇宙は『偉大なる知性』(空飛ぶスパゲティモンスターとか)によってデザインされているというID論とかもある。ユーザーが不便を感じること無く物の機能(また、ユーザーの目的)を達しているなら、それは優れたデザインだと言えるのではないだろうか。鉛筆を六角柱にした人は偉い。多くの人が生きていくのに不便しているように見えるので、例のインテリジェントはあんまり良いデザイナーではないのかもしれない。

この大量生産の時代においては、一つのデザインが多く世に出回ることになる。おそらくデザイナーは、クライアントの好みとか予算とか納期とかと必死に戦って毎日を生きているのだろう。そして、やっと満足のいくものができたと思ったのに、今度はユーザーからクレームがくるんだろう。デザイナーは大変だ。

デザインとアートの大きな違いは、アートは生きていくだけなら不要であるということ。別に彫刻や絵画が無くても生活に直ちに影響はないが、それこそデザインは生活や仕事に密着している。アートは、人の心に訴えるものだ。そこに違いがあるように思う。

とはいえ、アートとデザインを明確に線引きするのは難しい。アートとは人の思いを伝えることに振り切ったデザイン、と言い換えられるかもしれない。そういう意味では、人の解釈によりデザインが昇華され、何らかの情動が起きた時点でアートと言えなくもない。今日ではアートに分類されているラスコーの洞窟絵も、描いた本人からすれば「今日はこんな獲物が取れたぜ、うっほほーい」という絵日記かもしれないのだから。結局、アートとデザインの中間領域は曖昧で、それを観察する人次第、なのかもしれない。

サイエンス、エンジニアリング、デザイン、アート

エンジニアリングとデザインは非常に密接にリンクしている。エンジニアリングの段階では知見に過ぎないが、デザインに組み込まれることにより、実際のモノとして機能する。そして、現代のエンジニアリングはサイエンス無しには成り立たない。サイエンスで明らかになった原理原則(人や社会もそこに含まれる)を応用し、問題解決をしようというのがエンジニアリングだからだ。ポンチ絵にしてみた(図1)。アートからサイエンスの流れは分からん。

図1 サイエンスからアートまでの流れ

3Dプリンタで考えてみよう。まず、数学、物理学、樹脂・金属の特性を解明するサイエンスがある。現在の知見の正しさはともかく、これには究極的な一つの答えがある。各3Dプリンタ製造元は計算機工学・制御工学・熱工学・光工学・材料工学と言ったエンジニアリング的要素を加え、試行錯誤して、色々な種類の3Dプリンタをデザイン、製造する。そして、3DCADを使ってデザイナーやメーカーはモノをデザインし、3Dプリンタを使って実物を作る。今までのやり方では出来なかった事や実現困難だったデザインが、3Dプリンタなら簡単にできるかもしれない。もしかすると、アートの創作のために3Dプリンタを活用するアーティストもいるかもしれない。

昔はこの一連の流れもそんなに早いものではなかったが、科学技術の発展と共に、ものすごいスピードで流れるようになっているように思う。科学の発展がすぐに工学に結びつき、先進技術がすぐにデザインに適応される。更に、ここ数十年で製品やサービスがデザインの良し悪しで選ばれる時代となり、最近は『ユーザー志向』、『デザイン思考』、『モノからコトへ』などがホットワードとして並び(そして既に冷めつつあるように思える)、サイエンス・エンジニアリングとデザインは一体化しつつある。かのエレベーターに乗れなかった男も「激流に身を任せ同化する」と言っている。

もうちょいなんとかならんのか

何かモノを作る、ということはデザインする、ということと不可分である。これは実体を持つものだけではなく、サービスやイベント、データ(それこそプレゼンテーションのためのスライドとか)も同様であると思う。

現在の所属部門において、プレゼンテーションのフォーマットが無かったのだが、先日、部門で統一フォーマットとして「コレを使え」というお達しと共にデータが送られてきた。ヘッダが真っ青。フォントがまさかのMS Pゴシック。マジか。石器時代かよ。読みにくくない? 見る人、目が痛くならない?「デザインで競争力を」言っている会社の一部門がコレ? クソダサくない? まぁ、使うんだけどさ。でも、もうちょいなんとかならんのか。

一応、 バンドのブログなのでライブとかコンサートとかについても考えてみよう。音楽はアートに属するものとされているが、イベント自体はデザイン的な思考が求められるのではないか、と思う。一体、リスナーは何を求めて来ているのか? どうすれば伝えたいことがより伝わるのか? 転売などによりチケットが高騰してしまうのは防げないのか? トイレの長蛇の列を解決することはできないのか? エトセトラ、エトセトラ。 ライブ、コンサート、あるいはフェスでも、色々な部分で、もうちょいなんとかできる余地を感じる。

とにかく、「もうちょいなんとかならんのか」という部分には改良の余地がある。そうは思っていなくても、日々やらかしてしまう凡ミスやちょっとした間違いには、デザイン的な問題がある(そして往々にして問題認識されていない)。そこに問題があることがわかったのなら、あとはやっつけるだけだ。レベルを上げて物理で殴ればいい。

利用する人やその周りにいる人のことを考えてモノを作っていきたいものであるし、日々の生活や仕事における痒いところを見逃さないように感受性を磨いていきたいことであるなぁ… と思うと同時に、デザイナーだけでなく、何らかの創作を行う人(結構な人が該当すると思う)は、デザイン概論とか履修しておくべきなのでは? という昼下がりの午後であった。

【次回】ゲームと音楽

中野(30代・男性・Hr.・OL)

関連書籍

デザインの役割と理論を知るための名著。
現代人なら増補・改訂版のこっちが良いぞ。読め。

余談1:アイキャッチ画像は山梨県立美術館のある芸術の森公園に展示されているオブジェ『ビッグ・アップル』。 梨だと思ったらリンゴらしい。それでいいのか山梨県。

余談2:先日の練習で、パーカッションの加藤さんが使っていた台車が非常にコンパクトに畳めるデザインになっていて、皆で素晴らしいと称賛していた。シンプルな台車ですらそうなのだから、いわんや複雑な製品をば、と言ったところである。でも台車に8000円は高い気がする。

余談3:先日、このコラムが団員のご家族とかに割とウケているという話を聞いて安堵した。もし良いなと思ったら、拡散してもらえれば幸いです。シェアのためのボタンとか下の方にあるので。一方で、師匠と電話した際に「ブログを私物化しているのでは?」「広報目的でやるなら、いっその事もっと露骨な記事書けば?例えばchromeに入れるべき拡張10選とか」「俺の同僚の女性のおっぱいが大きい」「自転車が無い、盗られたっぽい」という指摘もあった。何も聞かなかったことにする。


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