【コラム】誰が音楽をタダにした?

イノベーションこそが資本主義の原動力である。

と同時に資本主義はその成功ゆえに必ず失敗する。

ヨーゼフ・シュンペーター

先日、実家に帰省したときに部屋の掃除をしていたら、『音楽デジタル化マニュアル』が出てきて驚いた。かれこれ15年ほど前のムックだ。
持っているCDのリッピングからエンコード、各種圧縮方式の違いや再生方法やそれらに使うソフトウェアまで網羅的に書かれており、愛読していた記憶がある。
『CDex』、『午後のこ~だ』、『Winamp』、『foobar2000』、Ogg Volbis、APE、FLAC… もはや聞くことも少なくなったワードが紙面に踊っている。
冬の雪の降る静かな夜、ただ聞こえるのは唸りを上げる光学ドライブの音だけ、という学生時代を思い出した。

90年代後半から地下でmp3が爆発的に普及し、世紀末にはnapsterが登場、iTunes, iPodがローンチされたのが2001年。
21世紀になって久しく、 平成という時代も終わった昨今だが、その間に音楽のデジタル化による音楽業界の構造は随分と様変わりし、いまや老若男女問わず、スマートフォンでデジタル化された音楽を聴いている。
今回は、この業界構造の変化について迫った良書を紹介したい。

誰が音楽をタダにした?

『誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち』(原題『HOW MUSIC GOT FREE』)は、スティーブン・ウィットによる書籍。
mp3という画期的な音声ファイル圧縮技術による、劇的な音楽業界構造の変化の裏側で何が起こっていたのか、ということに迫ったノンフィクションだ。

主人公は三人。
まず一人目は、音声ファイルのデジタル圧縮技術を研究する中でmp3を生み出したものの、大企業との規格争いに負けた音響工学研究者。
二人目は、地方のCD工場で働く一方、のちにネットのアンダーグラウンドシーンで最強の海賊となる、しがない労働者。
そして三人目が、幾多の著名アーティストを地方から発掘しプロデュースすることでこれまでの音楽産業をリードしてきたが、斜陽産業となりつつあるレコード会社の敏腕エグゼクティブ。

これら一切関係の無さそうな三人が、互いに出会うことなく、デジタル化のうねりの中で不可逆な影響を及ぼしあい、時代に飲み込まれていく。さながら歴史小説である。
また、大企業との規格争い、FBIとの攻防、ビジネスの盛衰などはサスペンス小説を読んでいるようでもある。
文章自体も堅苦しくなく、エンターテイメント小説のように読める。著名なアーティスト、会社の名前もゴロゴロ出てくる。翻訳も素晴らしい。

何が一番驚きかといえば、この話がノンフィクションであり、しかも現在の我々の音楽との付き合い方に密接に関係している、という点だ。
かつてwinMXやwinny、napster、BitTorrentといったファイル共有ソフトをつこうたディープな方々や、自らリッピングしてデジタルライブラリを構築していた人々だけではない。PCやiPod、スマートフォンで音楽を聴いたことのある人は――そんな経験が無い人の方がもはや希少かもしれないが――、是非この本を読むべきだ。

技術革新&構造変化との付き合い方

mp3をはじめとする音声データ圧縮技術のおかげで、いつでもお気軽に高音質で音楽が聴くことができる世の中になった。
大昔、音楽は当然ライブでしか聴くことができなかった。 エジソンが蓄音機を発明して以後も、情報記録媒体や再生機器の性能からいって、ライブが最高の音楽体験だったと言えよう。

ところが、今日のように技術が進歩すると、ある疑問が生じる。
そもそも我々が生で演奏する必要があるのか?
死ぬほど上手い演奏、それこそ往年のシカゴフィルとかをYouTubeで聴ける今、アマチュアがライブや演奏会をする意味とは?
音だけで言えばデータの方が雑音の多いライブよりも良いのではないか?
聴覚以外に訴えると言っても、VRのヘッドセットを身に着けて部屋で跳んだり跳ねたりすることで代用することができるのではないか?
共通の趣味を持つ知人と会う?大事な人と貴重な体験を共有する?別の方法があるのではないか?
我々は何を求めてライブへ行くのか?

加速度的に進歩する技術の中で、わざわざライブに行かないと体験できないこととは何だろうか。生演奏に残る残滓とは何だろうか。
例えば予想外の出来事――ひょっとしたらトラブルやアクシデントかもしれない――が頻発するである? 音源が門外不出? 一切の電子機器禁止の完全アコースティックライブ? 生音の音圧? モッシュやダイブ?

あらゆる分野において技術革新とそれに伴う業界構造の非可逆的変化は起こる。
ヨーゼフ・シュンペーターが言い出したイノベーションとかいうやつだ。そして、クレイトン・クリステンセンの言うイノベーションのジレンマとか、ラッダイト運動的な何かが起こる。
影響を受けるのは既存構造で食っていたプロだけではない。アマチュア――むしろアマチュアであればより純粋に――、ユーザー(音楽だったらリスナーか)、新規参入者も…、関わる個々人が構造が変化している業界との付き合い方について考える必要があるのではないか。
納得できる答えはまだ見えていない。

蛇足|ところで本を読むとかしなさい

最近、電車やバスに乗っていても、老いも若きもスマートフォンと睨めっこしている。ビビる。
別にそれを非難するわけではいが、一体スマートフォンで何をしているのか?

Twitter?LINE?Instagram?Facebook? お友達が多いようで羨ましい。
ゲーム? 熱中できる趣味があることが羨ましい。
YouTube?Netflix? 太い回線と潤沢な通信量が羨ましい。
ニュースやブログのチェック? アンテナが高いようで羨ましい。
株の値動きの調査?デイトレード? 資本をお持ちのようで羨ましい。

結局、読書の時間というのがスマートフォンを使う時間に取って代わられたのだろう。
ブラックホールに吸い込まれるとか光速で移動するとかしない限り、時間は平等に流れているものなので、あらゆる行為は人口×時間で導き出される時間の莫大なパイの奪い合いにならざるを得ない(少子化のヤバさの一つでもある)。

出版不況と言われて久しく、実家の近所の書店も(跡継ぎ問題もあるのかもしれないが)続々と閉店している。人が本を読まなくなって久しい。
どうしてもインターネットの情報というのはお手軽にアクセスでき、読むことができ、書くことができる分、内容も軽くなってしまい深掘りされずじまいになりがちだ。
前回のコラムでも触れた、インターネットに全てがあるわけではない、という理由の一つでもある。
書籍は確かに物理的に重く、たとえ電子化しても読むのには大抵それなりの時間が必要となるが…得られるものは多い。

通勤中や休憩中、帰宅後のスキマ時間など、スマートフォンを置いて、本を読むというのはどうだろうか。
その一つの候補として、今回紹介した『誰が音楽をタダにした?』を入れてもらえれば幸いである。

【次回】映画で辿る東ドイツの歴史とか

中野(30代・男性・Hr.・テレホマン)

余談1: 自己啓発本を読むのはどうかって? 大抵はクソだからやめておけ。そもそも自己啓発ってワード自体が自己言及のパラドックスじゃねぇか。ブートストラップもかくや、である。

余談2:映画にしても書籍にしても、邦題ってのは大抵モヤッとすることが多い。何故『How to Read a French Fry』が『理屈で攻める、男の料理術』になり、『Hidden Figure』が『ドリーム 私たちのアポロ計画』になるのか。いや、リリースする側の気持ちも分かるが… なんかもっとこう… なぁ?

余談3:あと映画は日本版の配給ポスターがクソダサくなる問題が酷い。あらすじの説明をポスターに入れる必要ある? (割とあるパターンとして)煽り過ぎじゃない? (酷い場合には)間違いじゃない?と思うこと多々だ。
『スティーブン・キング原作×フランク・ダラボン脚本、「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」に続く衝撃の最新作!』 中野の好きな映画の一つ『ミスト』のコピーだ。感動すら覚える。

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