たゆたえども沈まず

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この記事は、毎週金曜日、団員の中野がお送りするコラムです。
なお、このコラムは個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません。

今週のアップデート

YouTube

第9回定期演奏会の映像が公開。オーディオコメンタリーを収録したものの、うまく録音されていなかったらしく、その報を聞いてチベットスナギツネみたいな顔になった。

そしてプリラジが二本。

Blog

Cond. 迎の誕生日報告記事 & Perc. いさな氏ご子息誕生の報告記事。おめでたいことである。なんか過去記事に触発されたらしい。記事いっぱい出たし、今週のコラムはローカロリーでいこう。

たゆたえども沈まず

船に乗っても、もう波が出やしないか、嵐になりゃしないか、それとも、この船が沈没しやしないかと、船のことばかり考えていたら、船旅の愉快さは何もなかろうじゃないか。

人生もまたしかりだよ。

中村天風

先日から日に日に大きくなっている悩みがある。この先何がしたいのか、どうありたいのかという目標が全然立たないのだ。以前、目標設定や直近で目指すべき場所を設定していこうな、という旨の記事の中で「長期的な目標や計画が具体化されていなくても、何かしらざっくりとした方角というのがあるものだし、迷ってもとりあえずそっちの方向へ進んでいけばよいと思われる」とか書いたが、方角が見えねぇ。書いた本人がこれじゃあなぁ、という感じだ。

とりあえずこの先の2、3年の身の振り方(あるいは身の置き場)はある程度は定まっているものの、その先が全く見えない。どうしたいか、というのが全く見当もつかない。全き闇であり、照らす松明も無ければ、その火種もない。

思い返せば、ずっとそうだった。いやなことから逃げて隠れてやりすごして、死ぬまで逃げおおせれば俺の勝ち、捕まれば俺の負け、という終わらない鬼ごっこを続けている。受験を避けるべく高専に入学し(大学受験とか避けられそうだったので)、なんやかんやあって就職してからも労働から逃げるべく退職し、そうして今がある。師匠曰く「だいたい人生にだってコマンドってのは『たたかう』か『まもる』か『にげる』の3種類くらいしかないものさ」。三十六計逃げるに如かずと言わんばかりに逃げ続けていたら、逃げ足ばかりが早くなってしまった。

逃げているうちにわかったことであるけれども、逃げるにもコツがあり、駆け込み寺を意識しておくことが大事なような気がする。それは企業や組織であったり、精神的支えとなる家族や恋人あるいは友人であったり、時には国などかもしれない。時々に応じて、自分が求められている(あるいは受け入れられる)ところへ流されていく。そう、風見鶏よろしく風に流されていく。

今起こっている問題は、今いる場所からの駆け込み寺が目下見当たらない、ということなのかもしれない。こちらから求めることはなく、そして特にどこから・誰からも求められず、という状況である。あたかも凪の中で浮かぶ笹舟のようなものであり、次に大きな波や嵐が来たら、いよいよダメかもしれないという予感がある。じゃあ錨を下ろせばいいじゃんって話だし、大抵はそうするのだろうけれど、ほら、逃げ足が遅くなるから… (ここでいう錨は安定とか安心とか守るべきものとか、そういう類のものの比喩です)

『たゆたえども沈まず』。パリ市の標語だ。荒波に揉まれ帆が破れマストが折れ、波間で船が大きく揺さぶられようとも、決して沈まない、そういった強い意志を感じる。いかにも革命やら戦争やらで翻弄されてきたパリらしい。そこまで強くあることはどうも叶わないけれど、生きていく参考にはなるかもしれない。逆噴射先生も「名言を装備しろ」と言っており、おれの最新の装備はこの標語だ。

そんな最近ではあるけれど、あえて錨を下すこともなく風や潮に流されたら最終的にどこに行きつくのか、それが楽しみでもある。もし沈没したら笑って葬送してほしい。

RECOMMEND: Natsu summer

Natsu summerってすげぇ夏っぽい名前だ。古き良きシティポップのレゲェ味。熱帯夜に流しながら海沿いをドライブとかしたい。来月2ndフルアルバム出るってさ。


余談1: 夜に突然親父から電話がかかってきて何事かと思ったら「最近連絡とかしてなかったから元気かと思って」。あれもラブ、これもラブ。

余談2: 評価・実験用に購入したintelのREALSENSE D435が届いた。片手で収まるくらいちっさい。KINECTと比較するとびっくりするほどだ。KINECTが発売されてから10年、技術の進歩を感じた次第である。

余談3: いよいよPC版のデスストランディングが発売されたのでさっそくやっている。


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