音楽と楽しさ(あるいは悲しさ)

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本コラムは個人の見解であり、所属するいかなる組織の公式見解ではありません。
吹奏楽団のブログですが、吹奏楽の話はたいてい無いです。


新着情報

今週も特に無いみたいなので、また来週、様子を見に来てください。
それだけってのも何なので、よかったらコラムでも読んでいってください。


コラムのコーナー

私は悲劇を愛する。
悲劇の底にはなにかしら美しいものがあるからこそ、愛するのだ。

チャールズ・チャップリン

先日、Coccoのインタビュー記事を読んだ。世間ではつながりっていうけど、「つながり」とか「絆」って何なのさ… って導入から、歌で人は救えねぇ…って話へ。やはり、この人は面白い。繋がってるのは携帯と携帯では?っていうのは核心的ですらある。

「逆に聞きたい。つながりって何?」 Cocco、想像力が入る余地のない世界への警鐘 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and] (asahi.com)

「歌では人を救えない」勘違い、惨敗、挫折……それでもCoccoの歌は終わらない | 朝日新聞デジタルマガジン&[and] (asahi.com)

落ち着きつつも”病んでる”歌を歌わせたら右に出るものは居ないのでは?と評されることが多いCocco。俺はすごい好きだ。『樹海の糸』『焼け野が原』『Raining』… 色々と名曲はあるが、やはり『強く儚い者たち』だろう。たまんねぇよな。匕首を突き付けられたかのような気分になる。匕首を突き付けられた経験は、まだ、ない。

別に今回はCoccoの話をしたいわけではない。音楽の話だ。楽団のブログだし、たまには音楽の話をしないとな。繋がりについては、また今度話すとしよう。弊バンドの次回ライブのテーマが『We are the B.A.N.D.』だしね。

音楽、その語源

さて、しばしば、「『音』を『楽しむ』と書いて『音楽』だ!楽しまなきゃ音楽じゃねえよ!」という体温高めの人がいる。そんな人を見て、俺は黙って、こう思う。漢和辞典を読め、そういうことじゃねぇだろ、と。

漢字の成り立ちを見てみると、『音』は「声や、万物から鳴る『おと』」を、『楽』は「楽器」を意味する。時代が流れて、「楽器や声で音を出したりして遊んだり踊ったりするの… なんか興奮しない?」ということで『楽しい』という表現ができた… らしい。女子十二楽坊はただの女子会ではないのだ。

すなわち、初めに『楽器』ありきであり、その後に『楽しい』があった… ということだ。そういう意味では、赤ん坊がガラガラを振って遊んでいるときの気持ちが最もプリミティブな『楽しい』ってことなんだろう。 俺たちだってそうだろう?民族楽器コイズミで見かけたカリンバを鳴らしてみてニヤニヤするとか、逆さまにしたオイル缶を叩いて遊んだりとか、そういうやつだ。

とにかく、「音を楽しむのが音楽」という認識は、「『初めに言葉ありき』なんですよ!」「『暗黙知』を『形式知』にすることが大事なんですよ!」「『初心忘るべからず』なんですよ!」というくらい、オリジナルを見失った唾棄すべき模倣あるいは風説である、と俺は声を上げて言いたい。

底にあるなにかしら美しいもの

そこでCoccoだ。『強く儚い者たち』だ。なんなら、シューベルトの『魔王』でもいい。これらは間違いなく至上の音楽だが、そこから感じられる感情は『楽しい』かね? もしシンプルに心の底から楽しいってのなら、ちょっとサイコパスの気があるか、ちょっと達観しすぎてるか、相当ひねくれてるんじゃない?大丈夫?

そりゃまぁ、なんか演奏することそのものは先ほど確認した通り『楽しい』かもしれないけど、そうじゃなくてさ。

吹奏楽なりなんなりで、様々な曲をやっていくうえで、こういうような哀歌なり、悲劇をベースにした曲なりを演奏することがある。その時に、「音楽ってのは楽しいものだ」という認識で向き合って、うまいこと演奏できるのか?ましてや、「音楽とは楽しくなければならない」という誤謬の上に立って、その曲が表現できるのか?という疑念が、そこにはある。

音楽に楽しく向き合う、あるいは付き合うのは大切だけれども、それは全て楽しくなければならない、ということを意味しない。時には、これまで経験した様々なお気持ち、例えば敬虔さだとか、切なさだとか、悲しさだとかを思い出しつつ総動員する必要があるだろう、と思う。

もちろん、色々終わったうえで、「いやぁ、もの悲しげなお気持ちの表出は楽しかったねぇ!」というのは、わかるし、実際にあるけれど。わかってくれ、この差。

ともあれ、ラブ!ハピネス!自然を守ろう!絆を結ぼう!美味しいパスタ作ったお前!楽しい毎日!アゲアゲで笑ってすべてを許し、幸せに生きていこう!みたいなアホな感じになりがちな世の中で、生憎だが現実はそうではない、生憎だが世界はそれほど素晴らしいものじゃない、ということを突き付け、底にある何か美しいものを感じさせる、こういった音楽は、本当に貴重であり、大切にしたい。

音楽に限らず、文学でも、絵画でも、映画でも、別に何でもいい。リア王も、人間失格も、ロミオとジュリエットも、我が子を食らうサトゥルヌスも、ミストも、どれもが超いいものであり、未だに語り継がれているだろう? とにかく、そういうある種の悲劇性を持つ作品は、現実を取り戻し、心の滋養強壮のために必要不可欠である。

深夜、 遠くの国道でやんちゃボーイが切るコールを聴きながらそんなことを思う今日この頃である。

今週のリコメンド

浦上想起

2019年1月頃、おもむろに活動を始めた多重録音 / 宅録音楽家。YouTubeやSNSにアップした音源が、著名ミュージシャンにTwitterで賞賛されるなど、本人の想定を越えた支持を集める。並行して、秋頃からライブ活動もスタート。2020 年にシングル「新映画天国」をリリースしさらに支持を広げる。「未熟な夜想」がドラマ「名建築で昼食を」のエンディィングテーマとして起用され、8月21日にシングルとしてリリース。10月23日に自身初となるミニアルバム「音楽と密談」を上梓した。

多重録音 / 宅録音楽家・浦上想起という新たな才能 その音楽遍歴と思想について – TOKION

…とのことだ。いつものようにSpotifyのDiscovery Weeklyで色々曲を聴いていた時、浦上想起の『未熟な夜想』が流れてきて、ガッシリ心を鷲掴みにされた。

DTM特有の感もありつつ、どこか90年代のシティポップのような雰囲気もありつつ、時折差し込まれるトリッキーな工夫や、思い出したように揺さぶりをかけてくる感じがとても面白いと思った。

これを聴いてスゲェと思った。
特に、2番?のベンド?がスゲェと思った。
処女作。
5月5日公開の新曲。


余談1: あまりに文献の調べ方について聞かれて時間を割かれるので、いっそのこと楽になるため、ラボでまとめて文献探索セミナーを受講した。いままで文献管理ツールとしてEvernoteとか使ってたけど、Mendeleyとか超便利っすね。あと、Mendeleyのメンテナンス中の画像がFSMなので、おれは非常にいいと思いました。

余談2: マリンバ奏者の星野さんが結婚されたってね。ええやん。めでてぇなぁ。僕はどんぎつねさんが好きです。

余談3: >松田氏 Slackご確認ください

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