いつもお世話になっております。あるいは、はじめまして。インプリメーレというバンドでホルンを吹いている中野と申します。さて、今回もやっていきましょう。 タイトルは『部屋とYシャツと私』の韻で読んでください。
先日、美味いポテトサラダを作ろうとして色々な料理本を開きレシピを見ていた時、電流が走った。勿論暗喩で、冷蔵庫も電子レンジも炊飯器も洗濯機も接地してある。そうではなく、レシピも、取扱説明書も、楽譜も、全てはガイドという点で共通しているという天啓が降りてきたのである。今日はこういったガイドについて洗いざらいぶちまけていこうと思う。
レシピ
今では日本でレシピと言えば単純に料理の作業工程指示書のことを指す。辿ってみれば語源はラテン語の recipere(取り・受け取る) の命令形 recipe であり、医師から薬剤師への「この患者にコレコレこういう薬剤を処方しなはれ」という指示書、すなわち処方箋のことを指していたそうな。医療関係者は医療保険の診療報酬明細書のことをレセプトと呼ぶが、こちらはオランダ語のrecept(処方)、ドイツ語のRezept(処方) からきている。ところ変わって、我々がお買い物をするときには receipt(領収書) を受け取るが、どいつもこいつも、recipereから来ている。マジで日本語難しくね? というか、ラテン語に通じれば大概のヨーロッパ語族もいけるのでは? 『すべての道はローマに通ず』とはよく言ったものだ。
薀蓄はともかくとして、レシピの話だ。料理のレシピは「こうやって作ってね」というガイドであり、「準備する材料」「材料を加工する手順」の2つが書いてある。同じ料理名であっても、当然のように著者によって内容が変化する。この点については、クックパッドで料理名で検索して「どれにしたらええんや…」と途方に暮れたことのある人なら理解してもらえることとおもう。というか、クックパッドはそれでプレミアム会員増やしている面もある。ここまでがレシピの役割だ。いわば、レシピは目指す山の頂上へのガイドである。
それよりも大事なことは、同じレシピを見ながら作ったとしても、作り手のさじ加減で結果としての料理に差異が生まれることだと思う。「この感じがベスト!」というのが人それぞれであるがゆえ… ここに先程の参照するガイドの違いが加われば、もはやカオスの極みである。やがて、作り手は慣れ、レシピを見ることなく料理を作れるようになり、そのうちにオリジナリティを加えてみるかもしれない。ひょっとしたらお手軽簡単な方向かもしれないし、食費削減の方向かもしれない。あるいはスタンダードに美味しさが増す方向に行くかもしれないし、創作料理の方向かもしれない。そうしたらまた、新しいひとつのレシピが生まれ、カオスをこえて終末が近づく。 それでは次のガイドにいこう。
取扱説明書
マニュアル主義が蔓延るこの国において、取扱説明書をきちんと読む人が少ないのは何故だ。取扱説明書は「こうやって使ってね」というガイドである。製造業に勤める人でも自分の製品の取扱説明書には「必ず取扱説明書を読むこと」と書いておきながら(PL法云々があるのは分かるが)、自分たちの生活の領分においてはなかなか読まない。そして、助けを求められる。ちゃんと説明書を読みなさいよ。
というのは、個人の感想であり、認知バイアスが相当かかっている。参考文献の2を読んでもらえばそこそこに取扱説明書を読む人がいることが分かる。とはいえ、こちらも選択バイアスがかかっているかもしれない…
何故、取扱説明書を読まないのだろうか。活字慣れの問題もあるかもしれない。でも、皆さんこれを読んでいる以上、日本語は読めるはずだ。専門用語が分からない? それは知識不足か書き手が悪い。ということで、日本語の問題はパスだ。
問題は、外国語のマニュアルしかないパターンである。こちらは、英語力の問題である。だが、多く場合は中学・高校レベルの英語力で読めてしまうと思う。分からない単語があったら辞書を引けばいい。面倒くさかったら分かりそうな人に頼ろう。専門用語がバンバン出てくるようなマニュアルを読む場合には、読み手側にも相応の知識が必要だが、そのような場合においてもSupercalifragilisticexpialidocious や Pseudopseudohypoparathyroidism といったハチャメチャ系の単語は出てこないはずだ。
IKEAの家具の組立説明書も理解不能な場合は… 一旦冷静になり、何か不足しているものが無いか確認してみて、それでもダメなら人に頼ろう。
ガリラヤ湖の上を歩いたある男も「あなた方のうち、義務教育をきちんと終えていない者だけが取扱説明書に石を投げなさい」と言ったそうだ。まずは何か説明書の付いている物を買ったらとりあえずパラパラと流し読みなさい。困ったら説明書を一読しなさい。分かったか。それでは、我々の領分のガイドにいこう。
楽譜
楽譜。作曲者からの「こうやって演奏してね」というガイドである。ご親切にも、ここは早く! ここはゆっくりと… ここは大きく!ここは小さく… ここは感情豊かに! という注釈も付けてくれていたりする。
楽譜はあくまでガイドであり、どう演奏するか、どれくらいのクオリティになるかは奏者次第だ。特にオーケストラや吹奏楽の場合には、PMの如し指揮者によるところが大きい。メロディ、リズム、ハーモニー、更に付け加えるならアゴ―ギグやデュナーミク。
昔々、学生だった頃、それはキレッキレの女性指揮者がいた。曰く、「譜面に書いてあることを全て吹けてそれでようやく3割だからね」。たしかに、言われてみればそうである。ピッタリやるだけなら、楽譜をコンピュータに読み込ませてMIDIで流したほうが早い。自動ピアノとかもあるし。しかしまぁ、人間が演奏する以上、完璧を求めるとその先にあるのは地獄であることに、最近気がついた。何事も中くらいの出来で満足するのが、結果として精神衛生上は良い。
クオリティを高めるのはもちろん重要だ。しかし、それ以上に、どこまでガイドを守りつつ、かつオリジナリティを出していけるのか。背反する2つの要素の間で揺れ動く奏者の戦いは永遠に終わらない。
守破離
ここまで色々なガイドについて語ってきたが、それを使う自由度においては レシピ ≧ 楽譜 > 取扱説明書 の順になるのだろう。まずは基本が書いてあるこれらを読み、それからアレンジやアドリブを加えていくのが正攻法なのだろう。
冒頭に引用した利休道歌の一節は、芸道・武道の世界では『守破離』という言葉で今も引き継がれている。先生の教え(規矩作法)を頑なに守り、その型をしっかりと身につける『守』という半人前から一人前の段階。そして、型にアレンジをする『破』の上級者の段階。そして、『破』と『守』を行き来しつつ、オリジナルを確立する『離』の段階。もうここまで来てやっと、名人の世界だ。
ただ、個人的には、守破離には『本を忘るな』、即ち「本質や基本を忘れてはならない」という部分が抜け落ちているのが少し気になるところだ。利休の本当に言いたかったことってそこなのでは? 型を破る人を『型破り』というが、型ができていないのに型を破ろうとする人は『型なし』と揶揄される。くれぐれもそうはならぬよう、気をつけたいと思う今日このごろである。
次回 初見とか
中野(Hr. / 肩が弱い)
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参考書籍
- 秦美佐子 なぜクックパッドの会員はタダでもレシピを投稿し続けるのか
プレジデントウーマン(最終閲覧日:2019年11月9日) - ぬっきぃ キミは製品についている取扱説明書を読むか?
デイリーポータルZ(最終閲覧日:2019年11月9日)
今週のリコメンド│平松愛理
というか、平松さん最大のヒット曲、92年リリースの『部屋とYシャツと私』です。タイトルの語呂を合わせたついでに久しぶりに聴いたらゾクゾクした。歌詞がたまらなく良い。30代以上の人々なら知っているが、若い人は知らないかもしれない。第34回日本レコード大賞・作詞賞受賞。この歌を原案として映画も作られた。
さだまさしの『関白宣言』になぞらえて、女性版『関白宣言』とも言われたりした。「愛って何なんだろう、って最近考えるんですよね」と、先日のライブの打ち上げ帰りに誰かが言っていたが、これも一つの愛の形ですよ、とふと思った次第である。
今年の8月には、デビュー30年目の節目として、この歌のセルフアンサーソング『部屋とYシャツと私 ~あれから~』がリリースされた。本人のインタビューを探してみたら、「平成から令和になり、デビューから30年目という節目も迎えた今しかできないと思った」とのこと。是非、92年のバージョンをどこかで聴いてから、アンサーソング版も聴いて欲しい。
余談1:書影を載っけた吹奏楽ハンドブックを読んで、ジャズトランペッターは多いのにジャズホルニストが希少な理由が少し分かった気がする。突き抜けるような音が出せるトランペットと比較すると、ホルンはそういう音を出し続けるとものの数秒で死ぬ。あと、ホールや公園、森の中といった、ある程度の空間の広がりが無いとその良さが出にくい。そもそも狩りとかのシーンで外で吹くものだったからね… 求められる要求に応えた結果が現在だと思うと、仕方ないね。ヤンナルネ。
余談2:はじめは味見はしよう、な? あと、砂糖とか塩とか味噌とかの強烈な調味料の取り扱いには気をつけよう、な?
余談3: Pseudopseudohypoparathyroidism は偽性偽性副甲状腺機能低下症の意。昆虫で言うところのトゲナシトゲトゲとか、ニセクロホシテントウゴミムシダマシみたいなもんか。