僕が毎週金曜の夕方にコラムを投稿する理由

いつも自分をきれいに明るく磨いておくように。
あなたは自分という窓を通して世界を見るのだから。

ジョージ・バーナード・ショー
(イギリスの劇作家・評論家)

先日、このブログで広報・宣伝に関するコラムを書いた。今読み返してみると、鼻につく記事になってしまっているが、あまり深刻に捉えず(深刻に捉え過ぎると悩み… 心を病み… やがて死ぬ…)、いつかどこかでこれを読んでくれた貴方の役に立ったなら、書いた本人としてはとても嬉しい。

今年は冷やし中華を食べていない。

広報・宣伝のあり方が時代の進歩、特にPCやスマートフォンの普及で大きく変わってきているのは前回のSIPSの項でも述べた通りだ。多くの人々が手にしているかつての魔法が登場する前は、口コミ、看板、新聞、雑誌、ポスター、チラシ、ビラ、etc… で宣伝されてきたのだろう。あたかも餌を待つ鯉のように口を開けて情報を受け止めるだけで良かった。それが今やどうだろう。電車の中を見渡せば多くの人がウトウトしているか、あるいはスマホとにらめっこ。まれに本を読む淑女がいて何故か安心する。流れる田園風景と社内の景色を虚ろな目で見ているのは、もっさりした男ただ1人。もはや、一人ひとりが情報発信者となり、多すぎる情報を目の前に意思決定や取捨選択、あるいはコミュニケーションを行わなければならない。一個人には忙しすぎる時代ではないだろうか。

さて、そんな情報過多の時代に、毎週金曜日の夕方にコラムを書くことで、更に情報を増やしてしまっている。 そもそも、誰かに頼まれて始めたような事ですらなく、自発的にやり始めた取り組みである。多少の偏りはあるにせよ、基本的にノンジャンルで書かせていただいているが、「吹奏楽団体のブログだぞ、吹奏楽のことをもっと書きなさいよ」というような怒られも特に発生せず、偉い人には「いいぞ、もっとやれ」と背中を押していただいている状況。しかも#金曜日の中野さんというタグまで作っていただき、ありがたく乗っからせていただいている次第である。

今回は、そもそも何故、しかもわざわざ吹奏楽団インプリメーレのブログを使ってコラムを定期投稿するに至ったのか、ということについて書こうと思う。一連の定期連載を始めた時、理由付けとして承認欲求のため、と書いた覚えがあるが、ただそれだけでおよそ半年も定期連載を続けるモチベーションが保てるだろうか? いや、保てない。定期投稿の理由には大きく分けて3つある。自分のため、団のため、そしてネットのためだ。

理由1|自分のため

あらゆる行動は、結局自己満足のため、というのが私の持論である。でも、そういうことを言いたいわけではなくてですね…

インプット

毎回のブログのトピックは、次回予告を書くときの雰囲気でチョイスしている。「ネットの話をしたんだったら音楽配信の話もせんといかんでしょ」「酒と煙草はセットでしょ」「ネットミームと言えば42でしょ」「休暇と旅は似ているようで少し違うよね」、といった感じだ。

私は根が真面目な人間なうえにビビリであるがゆえ、間違いや失敗を犯すことを恐れている。そういうわけで、何かを書くにおいては下調べは欠かせない。文末で紹介している参考文献はそういった下調べの過程で興味を持ったり図書館で借りたりして読んだ本の数々である。この一連のコラムを書くために新しく読んだ本や、読み直した本も結構ある。

イベント学論文集なんぞ、日常生活を送っていれば読む機会などほぼ無いだろう。こういったジャンルレスのインプットもあながち悪くないものだ。後々、ふとした時にこのようなインプット同士が有機的に繋がったり、共通点・相似に気づいた時にエクスタシーやオーガズムを感じることあるでしょう? 無い? とにかく、知的欲求を満たすためには、インプットを増やすしかあるまい、と断言できる。そして、コラムを書くのはインプットを増やす良い機会である。

アウトプット

何かについて真剣に考え、自分の意見として表明する、というのはなかなか体力のいることである。しかしながら、インプットが増えてくるとアウトプットしたくなるのが人間の持つ特徴の一つらしい。

話は逸れるが、私は忘れっぽいことで有名である。「あれ?俺そんなこと言ったっけ?」と顰蹙を買うこと多々。「あれ?俺は何をしようと思ってキッチンに来たんだっけ?」とぼんやりすること多々。鳥は3歩で忘れるというが、俺は 【エラーが発生しました。プログラムを終了します。】

ということで、忘れっぽいので何かに書いておかないと、思ったことや考えたことも忘れてしまう。個人的にナイスだと思う発想は、さっさとアウトプットしてメモリを開放してやるに限る。要するに備忘録というやつだ。後で見返して、なるほどね、と思うことも多々ある。車で長距離を移動する前には高速道路のコラムを読んで、安全運転を心がけようとすることもある。コラムを書くのは、アウトプットを習慣づける上で良い機会である。

それにしても完全に愚痴である。

ストレス解消

これが一番大きい。どうやら、私は書くことが好きなようである。どんなに心身共に限界を感じても、なんとか毎週続けて来れたのも、単純にそれが楽しく、ストレス解消になるからだ。

しかしこれが、例えば偉い人に脅されて書いていたとしたら、このコラムも続かなかったろうと思う。頭に銃口を突きつけられていたとしても、早晩「殺してくれ」と叫んでいるだろう。それほど、「やらされている」という認知は大きなストレスを生む。一方で「自ら選び取った好きなことで人の役に立つ」という認知はストレス解消の第一歩となる。我々が音楽を楽しんで演奏できているのも、 音楽を演ることを自ら意思決定したからだと考えている。仕事にしても、やらされ仕事はマジでキツイが、自発的な仕事は何時間でもバリバリやれるのと一緒ですわな。

自分で好きなものを選び取り、主体的に行動することの大切さをこの半年で思い出した気がする。コラムを書くのはストレス解消に良い。次回のライブまでは続けようと思って始めたこの定期コラムであるが、もうちょっと気まぐれに不定期でやっていっても良いかもしれない。

理由2|団のため

あらゆる行動は、結局自己満足のため、というのが私の持論である。とはいえ、別に褒めて欲しいとか称賛されたいとか、そういうわけではなくてですね…

ブログ内容の充実化

ブログに限らず読み物全般は、面白いものでなくてはならないというのが信条である。貴方がこの文章を読んで面白いと思うかどうかはさておき、私は割と面白いのでは、とコッソリ自画自賛している。

ウェブの中で偶々アクセスしたバンドのオフィシャルサイト。まずあるのは、ライブ情報、バイオグラフィーあるいはプロフィール、ディスコグラフィーもあるかもしれない。ブログも見てみよう。そこにあるのは、練習報告とメンバー募集、そして演奏会告知と御礼である。ひょっとするとそこにweb広告なんかが挟まっているかもしれない。様々な団体がウェブページを持っているものの、おおよそコンテンツとしてはこんなものであろう。

ところで、企業だろうがNPOだろうが個人であろうが、いかにして在りたい姿に近づくかというストラテジーは不可欠である。経営学の大家、マイケル・ポーターは競争戦略として以下の3つの戦略を挙げた。

  • コスト・リーダーシップ戦略
  • 差別化戦略
  • 集中戦略

我々のライブは既に入場無料である。これ以上コスト・リーダーシップ戦略を取ろうとすれば、 お金払って聴きに来てもらうみたいなSMクラブ的様相になってしまうため、コスト・リーダーシップ戦略はダメだ。星の数ほどあるアマチュア・バンドの中で、インプリメーレという割と普通の編成のバンドが今後さらに発展して成長していくにはどうすればいいのか? これはもう差別化戦略か集中戦略しかあるまい。先日弊団体のラジオにゲスト出演してくださったpicopicoさんの場合だと、(観点次第なところはあるが)『ゲーム音楽』と『打楽器オーケストラ』という部分において徹底的に差別化戦略・集中戦略のMIXを行っているように見える。

ラジオや演奏会のレポートはこちらの記事が詳しい。

マネタイズ目的でも無く、広報宣伝でもなく、単純な読み物としてジャンルレスに定期コラムを書いているバンドは見当たらなかった。そういうバンドがあってもいいじゃない。差別化できるじゃない。

インプリメーレは個々人の個性をゴリゴリに出していくバンドである。 富士フィルムが化粧品作っている時代ですよ貴方。別にバンドだからといって音楽だけで勝負しなければならないという謂れはない。好き勝手にコラムを書くことを許される雰囲気のあるバンド、というのは非常に良いものですよ。ということで、少しでもその団の良さを伝えるべく、コラムを書き始めた次第である。

ブログ更新頻度の増加

える しっているか しょうせつかになろう の らんかー は まいにち こうしん

様々な団体がウェブページを持っており、告知などを行っているのは上にも述べた通りだ。ここで大事になってくるのが更新頻度だ。何かの縁でたどり着いたブログの最終更新日が3年前とか5年前とかで、「大丈夫かな?」と思ったこと、ありませんか? 「この広告は3ヶ月以上更新の無いページに表示されています」というブログに、物悲しさを感じたこと、ありませんか?

ただでさえ、インプリメーレの練習頻度は隔週である。練習報告のエントリ投稿時期も担当者によりマチマチである。そうなってくると、更新頻度がぐっと下がってしまう事もありうる。「更新頻度が下がると何が起こるんだ?」「知らんのか? 興味関心が薄れる」と、コブラも言っていた気がする。

音楽もブログもリズムが重要である。定期的に刻むエントリも必要だろうということで、コラムを書き始めた次第である。

理由3|ネットのため

あらゆる行動は、結局自己満足のため、というのが私の持論である。行動しても何も変わらないかというと、そういうわけではなくてですね…

ささやかな抵抗

昔のインターネットはもっと猥雑で、混沌としていて、匿名であるが剥き出しの人間性がそこかしこに見られた気がする。あと、かなりスノッブだった。それなりに棲み分けがされていて、しかしある程度の交流もたしかにあった。

そこから20年。業者による画像と改行だらけの結論の見えないブログ、どこの誰か分かる状態での意見の表明、そして発生する異なる価値観を持つ者同士の殴り合い、カエルの解剖かと思わんばかりのジョークの解説、CMのための意図的なバズ誘導、マウンティング。クラスタリングが進みすぎていて、もはやレイヤーが異なれば使う言語やツールも異なるといった時代になってしまった。

いつからこんなクソみたいな状況になってしまったのか。かつて我々が夢見た豊かな大地は強い熱風に吹きさらされて、すっかり砂漠になってしまった。太陽に焼かれる水星か。水野亜美ちゃんとかフレディさんとかが泣いているぞ。このように勢いと文章メインでやっているブログが、砂漠に残るオアシスのごとく残ることを願わんばかりである。

台風一過|ライブ来てね

おそらくこの文章が投稿された頃、私は丸の内においてサディスティックな大学時代の恩師に人生相談をしていることだろう。この3連休、我々はライブに向けた合宿を行う予定だが、どうやらこの週末は台風直撃コースのようだ。前回の九州もそうだったけど、俺が西へ行く度に台風来てない?何なの? 南の空に向かって問うたところで、波しぶきが舞うばかりである。今晩の帰りの新幹線、止まったらデッド、土曜日も高速道路が通行止めになったらデッド。死はそこかしこに満ち溢れている。そしたらベンジー、私をグレッチでぶって。

そのライブの開催概要は以下の通りです。詳細については、文末のバナーから参照ください。皆様のご来場をお待ちしております。どうか。何卒。

次回|多分、演奏会の宣伝しているのでは?

中野(Hr. / 嵐を呼ぶ男 part II)

参考文献

いやな気分よさようなら コンパクト版
(デビット・D・バーンズ)
認知療法の名著。その気分も行動も、自分がどう認知するだ、ということがよく分かる。
大抵の認知行動療法の本はこの本の抜粋である。
マイケル・ポーターの競争戦略(ジョアン・マグレッタ)
経営戦略・競争戦略を学ぶなら、とりあえずコレ読んどけば?

今週のリコメンド:Nujabes

本名、瀬場 潤。ヒップホップを軸としたメロディアス、かつリリカルなサウンドで高い人気を誇っていたDJ兼トラックメイカー。Jazzy hiphopの火付け役。もしかしたら、アニメ『サムライチャンプルー』で聴いたことがある人もいるかもしれない。ゼロ年代のHIPHOP界隈といえば、不良文化だった。その中でこれだけ流暢で美しいサウンドを持つ楽曲を出していけたのもすごいことである。

2010年2月26日の深夜、港区で起きた交通事故にて36歳の若さにて逝去 。国内外問わず、多くのアーティストからリスペクトされており、9年以上経った今でも、未だにRemixされ続け、サンプリング音源が様々なところで使われていることを鑑みれば、彼の音楽的魅力がいかに素晴らしかったかという話。惜しい人を亡くした。もう彼の新譜は出ない。

余談1:金が無い。

余談2:今月、敬愛する逆噴射先生主催の『第2回逆噴射小説大賞』が開催される。アウトプットの練習もしたので、せっかくだし応募してみようと思う。目指せ、CORONA 1カートン!

余談3:果たして、俺のこのコラムは宣伝効果とかあったのだろうか。違う意味で本番が怖い。


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