2つマルをつけて ちょっぴりオトナさ

吹奏楽団インプリメーレでは団員を大募集中です。
詳しくは文末の団員募集のバナーからアクセスください。

本コラムは個人の見解であり、所属するいかなる組織の公式見解ではありません。
吹奏楽団のブログですが、吹奏楽の話はたいてい無いです。


新着情報

特にないです。次回練習は、明日4月10日(土)、10:00~、@奈良先端科学技術大学院大学の予定です。


コラムのコーナー

人間は生まれた時から一人で生まれ、死ぬ時も一人で死んでゆきます。
孤独は人間の本性なのです。
だからこそ、人は他の人を求め、愛し、肌であたため合いたいのです。

瀬戸内寂聴

帰省

先日、THE LIVE 2021に向けた初の練習のため、出張ついでに帰省した。

今年は正月に帰らなかったから、だいたい半年くらいぶりの帰省となる。わずか半年、されど半年。実家においては、エネファームが設置されていたり、コーヒーメーカーが新しくなっていたりした。いつもの街中の風景も、コロナ禍で随分と寂しくなっていた。

両親がいて、弟がいて、ついでに犬もいて、TVは常に点いていて、騒々しい。咳をしても一人、という暮らしに慣れているからか、誰かがいると「何か話しをしなければ」という気持ちになり、精神衛生によくない。別に、ただ黙って同じ時間を過ごせばいいのにね。

都会の人ごみ 肩がぶつかって ひとりぼっち
果てない草原 風がビュンビュンと ひとりぼっち
どっちだろう 泣きたくなる場所は
2つマルをつけて ちょっぴりオトナさ

という歌があったが、今回の帰省はまさに、人の中にあってこその孤独を感じる帰省だった。全き一人の時は孤独感は無いのに、いざ誰かに会うと、ふと陰影を付けたかのように孤独が浮かび上がってくる。 家族の中にあっても、弊団のメンバーの中にあっても、そうだ。もちろん、家族は温かいし、バンドはめちゃくちゃ楽しい。それはそれとして、という話だ。そこはきちんと、あらかじめ断っておきたい。

仮に果てない草原でひとりぼっちであったとしても、一人が寂しいとか、孤独であるとか、そういうのは一人暮らしを数年やっていれば慣れてくる。いざとなれば誰か探せばいいのだから。だが、人の中にあっての孤独は、いつまで経っても慣れない。ありゃ、人間の業だぜ。

人の人との間の孤独

現代の科学は、他者の感覚を主観として捉えることに未だ成功していない。どこまでいっても、自らの感覚を通じてしか外界を認知しえない。また、現代の表現は、どれだけ懇切丁寧かつ的確な方法を選んで説明したところで、あなたの生の感情や考えを、100%そっくりそのまま他人に植え付けることはできない。

まことに残念ながら、我々が他者を理解しようとした時にできることは、せいぜい、追体験したり想像したりして、共感する程度にとどまる。どれだけ努力しようとも、俺とおまえは他人でしかないという事実。遺伝子が違うから、性別や姿形が違ったりする。育ってきた環境が違うから、セロリが好きだったりする。そして何より、己の主観から逃れることができない、あるいは自己と世界の間という、どうにもならない溝が存在する。

ところがどっこい‥‥‥‥夢じゃありません‥‥‥‥! 現実です‥‥‥! これが現実‥! そういうわけで、冒頭に引用した通り、我々は本質的に孤独である。家族であろうとも、仲間であろうとも、俺は俺、お前はお前。真に分かり合うことはできない。されども(あるいはそれゆえに)、人は人を求めて努力するのだろうなぁ。

大事なのは、誰しもが孤独であるという事実を受け入れて、朗らかにやっていくことである、と声を大にして言いたい。さすれば、見ず知らずの他人であっても、そこそこ仲良くなれそうなもんだし、困っていれば助けてやろうか、という気持ちにもなろう。さすれば、何か気に食わない他人の言動があっても多少は許してやろう、という気持ちにもなろう。さすれば、我々は一人では生きていけないので、お前の話を聞かせてくれ、俺の話を聞いてくれ、という気持ちにもなろう。ひいては、生きとし生けるもの… 地球… 宇宙… 万物への愛… そういうものに繋がっていくのではないか?

音楽、小説、絵画、映画など、数々の芸術やメディアは、孤独に対する挑戦そのもの、と捉えることもでき、そういうところが素敵なんだと思うね、俺は。ホルンを一人で吹いててもあんまり楽しくないし。

結婚

話は変わるが、弊団のGMと指揮者が結婚した。内々で恐縮ですが、おめでとうございます。前回のプリラジでもそのあたりのことがちょっとだけ語られている。弊団に限らず、学生時代の同期や後輩らも続々と結婚しており、気が付けば周囲は夫ないしは妻ばかりだ。

結婚、あるいは、他人と配偶になること。おおよそ現代日本の挙式のメインストリームであるキリスト教であれば 、「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを」誓っているわけだ。誓う本人たちがどこまで本気かは神の味噌汁。

それまでの強くも緩やかな繋がりから一転、より強固で、より密接な、鋼のような繋がりへ。限りなく、「俺とお前は一心同体」「俺がお前でお前が俺で」、に近いそれ。どこまでいっても本質的には孤独な我々が、結婚という方法を編み出したのは、必然のようでもあり、奇妙なことでもある。

両親にしてみても、さらに祖母祖父に遡ってみても、実際に結婚して子供を作っているわけで、よくそんな大決断ができたものだ、と感心する。大抵の場合において、大変なこともあるけれど、幸せかつ楽しそうなのでよかった。幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである、と言ったのはトルストイだったか。

…といった話を何人かにしたら、「そういうの、つらくない?」「哲学じみている」と言われた。決して、つらくは無い。そういうものであり、諸行諸法はなるようにしかならない、と諦め、割り切ってやっていくしかない、と気が付くのに俺は30年かかった。「そういう面倒くさいことばっかり考えてるから、結婚の『け』の字も浮かんでこないんだよ、お前はよぉ!」と自分にツッコミを入れつつも、やっぱり一人は気楽なんだよなぁ、と思う今日この頃です。

今週のリコメンド

dark cat

KAWAII FUTURE BASSの一角、dark cat。中二病あふれる名前や諸情報を見るに、おそらくアイスランド出身のオタクっぽい。

なんかこう、うららかな春の空の下、昼寝しながら流すのにちょうどいいんだよ。



余談1: 桜がきれいだったのでカメラを引っ張り出してきて写真を撮っていたけれど、やっぱり写真は面白いねぇ。インプリ写真部とかわりと面白いかもしれないな、と思いました。

余談2: 長年使ってきた傘が、いよいよ限界を迎えた。縫い目からの雨漏りがひどい。そういうわけで、長傘を買い替えようと、Waterfrontの旗艦店に向かったわけだ。色々悩んだ挙句、『テトラバリケード 12本チタン骨』を買ったわけだけど、これがすこぶる良い。何せめちゃくちゃ軽く、風が吹いたら飛んでしまいそうな俺でも持っていて苦痛を感じない。大きさもちょうどよく、撥水性も申し分なし。超おすすめです。

余談3: バイクのオイル交換をしようとした。ドレンボルトがあり得ないぐらい固く、格闘すること小一時間。ボルトを舐めました。この悲しさったらないね…

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