CM地獄とサブリミナルの中で

このコラムは毎週金曜日、中野がその場しのぎの文章をお送りする企画です。
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きょうプレゼントされる すべてのブランド品が、永く愛されますように。

大黒屋(質屋)
2019年12月24日、朝日新聞東京版広告

先日、風呂に浸かって日々の疲れを癒していたら、また師匠から電話がかかってきた。嗚呼、癒しのバスタイムよ、さようなら。そうしてかかってくる電話の目的の大抵は、師匠の家路につく間の暇つぶし、要は雑談だ。たまに「奥さんがブチ切れている。どうしよう」という相談のこともあるが、孤高の独身男性は件のような相談の相手としては最悪の部類であり、もう少し相手を選んだ方がいいのではないか、もう少し友人の輪を広げた方がいいのではないかと考えている。

そんな折、ふとしたことから、我々の社会が複雑過ぎる、という話になった。広告の話である。

例えばテレビ。ヒルナンデスを見ていた気がするのに、番組の出演者が、同じスタジオで、商品を宣伝している。気づけば「※これはCMです」と、シームレスにCMに移行している。CMと番組の境界がどんどんあやふやになっている。番組自体も、提供の兼ね合いや企業の紹介、他番組の番宣に溢れており、どこまでがコンテンツでどこからが宣伝なのか、線引きができかねる。

そこらじゅう、広告ばかりだ。電車に揺られながらふと見回してみれば、家、毛、借金、本、薬、転職、結婚、マナー、メシ、セール… 人の欲望をそそる数々のメッセージに囲まれていることが分かる。

ネット通販にしてもそうだ。少しAmazonを覗けば、閲覧履歴をベースに商品がリコメンドされる。のみならず、どうやらAlexaは普段の会話から聞いているようで、「やべぇ、コンソメがねぇ、買わなきゃ!」という日常会話から判断して、翌日には「これ欲しくね?」というコンソメのリマインドメールが送られてくるそうな。おお、Big brother is watching you。

聞くところによれば、YouTubeなどの動画の中に映り込んだ看板などを、別の広告に差し替える技術ができたらしい。例えば人気YouTuberの街歩き動画で映った『グリコ』や『きぬた歯科医院』の看板が、知らぬ間に広告主のモノに変わっている、という寸法だ。

既に時代はフィリップ・K・ディックが予想したSF『CM地獄』の世界の先を行ってしまっているのではないか。あれは、どこへ行ってもCMが入ってくる(挙句の果てには脳内に直接語り掛けてくる)世界を舞台にして、主人公が恐慌を来す話であった。だが、現代ではCMとコンテンツの境目をどんどんあやふやにする技術や手法が発達してきており、サブリミナルのように(サブリミナルが本当に効果があるのかはさておき)意思決定を陰でコントロールされているような気すらする。

情報が氾濫する今日である。おそらく、NSAとかもこの情報を拾っているのだろう(とはいえ、重要度は最低とカテゴライズされ、放置されるであろうが)。アニメの『PSYCHO-PASS』のように、ネットワークから自ずから隔絶し、山奥に暮らす人々も、もしかしたら出てくるかもしれない。情報の波に押し流されることなく、シンプルに丁寧な暮らしをしていきたいものだ。 うそをうそと見抜けない人には(生きていくのは)難しい。

中野(Hr. / 流刑囚)

参考文献

フィリップ・K・ディック:”まだ人間じゃない”

松尾 豊:”なぜ私たちはいつも締め切りに追われるのか?”

RECOMMEND 01_towser

5年ほど前くらいからであろうか、chill hip-hopやlo-fi beatsといったジャンルをYoutubeやSoundcloud界隈で見かけるようになった。何か本を読んだり作業したりする時に流しておくにはもってこいのジャンルで、いつもお世話になっている。towserはその界隈のアーティストらしく、最近spotifyで聴いて「いいね」、と思ったので紹介する次第。



余談1:広告一つとっても、脱毛とかマッチングアプリの広告とか見比べると「よそとどう違うの」という企業戦略が見えて面白い。

余談2:怒られが発生しそうなお店のポイントカードとかはショップカード、名刺などは責任をもってきちんと廃棄しましょう。

余談3:多摩ウィンドフィルハーモニーの見学に行ってきました。『ぐるりよざ』と『春の猟犬』の練習に参加させていただきました。とても楽しかったです。ただ、如何せん自宅からの距離がなぁ。

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