御子息幼年期の始まり(練習報告12/21)

どーもどーも、空前絶後のペーパーカンパニー株式会社イェーイ代表のいさなです。(パーカッションパートで主にドラムも担当してます。

早速先週末の練習を振り返っていきましょう

報告① 練習編

本日の練習場所

今回は普段とは別の場所に集まりました。(何をどこまで書いていい情報なのか分からんので詳細は伏せます)

練習場所に着いたらなんか楽しそうなエリアが設置されていた

この日は我らが副団長の御子息が練習に初登場(初だよね?)インプリには練習に小さい子供を気軽に連れて来れる文化があると思います。

ちびっ子に目がないパーカッションパートの面々

パーカッションパートはかとぅさんがインフルでダウンしたため楽器が無く、ほぼ終日御子息に遊んでもらってました。ありがとうね〜

ちゃんと練習もしたよ

人数が少ないので音源を流しながら合奏し、気になったところは調整、また合奏、の繰り返し。まぁ基本ですわな。

指揮者迎所有の電子パーカッション

パーカッションパートは楽器が無いけど暇してるのも勿体ないので電子パーカッションを使って可能な限り譜面をトレースしました。デジタルだとタイミングがモロに出るのでこれはこれでいい練習になりますね。

吹奏楽団というより総合エンタメ集団です

昼休みには久々のプリラジ収録をしました。4月に開催する新企画に関する記者会見です。詳しくは動画で!

説明する指揮者迎

午後一発目はアドリブ講座。音選びに関する説明を聞きました。ロジックはロジックとして、一度頭に入れておくのは大事ですね。フィーリングとかセンスとかも大事ですが、いつでもロジカルな領域に“戻れる”ようにしておくと、端端に説得力が宿るようになると思います。そういうのは音楽に限らず、料理でも仕事でも一緒じゃ無いでしょうか?

昼寝して元気になった御子息

何気なくスティックを握らせてみたら、棒の先にモーメントが掛かるのが楽しいのか、ずっと遊んでました。ちびっ子の体の使い方は観察してると色々と発見があるので楽しいですね。

報告② 忘年会編

長い夜の始まり始まり

練習後は梅田に移動して忘年会!インプリはどっちかっていうと大人しい人が多いので、こういう集まりは比較的しっとりとしたダウナー系の雰囲気です。

丁寧に取られた出汁で頂く鍋は美味かった(飯の写真はない)

年齢を重ねると共に、飲み会のトーク内容も変化してきました。生まれたばかりの子供の話、これから生まれてくる子供の話、仕事、結婚、職場恋愛、生老病死。人生は儚い。

僕は一次会で帰りました。二次会組が楽しそうに夜の街へ消えていく姿が印象的でした。夜は儚い。

報告③ カレー編

ところでカレーの話です。

カレーの分類

一般家庭に普及している、カレールゥを用いたとろみの強いカレーの事を欧風カレーと呼び、スパイシーでシャバシャバしたカレーをスパイスカレーと呼びます。しかし実は欧風カレーもスパイスカレーも、日本で生まれた日本の食べ物です。欧風と言うからてっきりヨーロッパに起源があるのかと思いきや、似たような料理は存在せず、スパイスカレーに関しても、インドやその他周辺諸国にスパイスカレーという名前の料理はありません。あるのは「バターチキンカレー」「キーマカレー」「サグカレー」「マサマンカレー」など個別の料理としての呼び名で、それらを総称して日本人が勝手に「スパイスカレー」と呼んでいるのです。(その起源は大阪天満橋にあるカシミールという店にあると言われています)

カレーはケなのかハレなのか

手作りのカレーというと、がっつり玉ねぎを炒めたり、何時間も煮込んだり、やたらと手間がかかるイメージがあると思います。ところが、スパイスカレーというのは上述の通りそもそも定義が曖昧で、必ずしも手間のかかる工程を踏む必要が無く、簡単なものであれば15分程度で作ることが可能です。つまりスパイスカレーは、ホームパーティーなどで来客に振る舞うために作る手の込んだハレの料理という面と日常的に手早くパパッと作るケの料理という面の間を無段階に行き来することのできる料理であると言えます。

食文化による味覚の違い

外国人の方にワカメを食べさせるとお腹を下してしまいます。それは、海藻を消化できる酵素を持っていないからです。アラスカの狩猟民族であるイヌイットは生肉を食べても平気な上、動物の血液や内臓から適切にビタミンを体内に取り込むことが出来ます。ところが、我々日本人がアザラシの肝臓を生で食べると、ビタミンAの過剰摂取で死んでしまいます。ことほど左様に味覚にも違いが見られます。我々日本人の味覚受容体には油の味を判別できませんが、油をよく使う文化圏の人々は油を判別する味覚受容体を持っているのだそうです。こういった違いを考えると、スパイスカレーが日本発祥であるという事の意味が分かってくると思います。具体的なことはまたいつかどこかで解説しようかとおもいます。

手段の目的化と目的の手段化

人は栄養を取らなければ死んでしまいます。人が食事を取るのは、もちろん栄養を摂取するためです。栄養を取る手段である食事が進化の過程で目的化した事で、人類はメタボリックシンドロームや糖尿病などの問題を抱えることになりました。僕にとってインプリメーレを含むいくつかの音楽活動は「自分の居場所を確保する」という目的に対する手段の一つです。勿論この意見は状況やその時の気分によって解像度が変化する都合のいいロジックです。では、カレー作りはどうでしょうか?不思議なことに、僕はカレーを作ることを目的として、カレーを作っている自分に気付く事があります。これは僕にとって、カレー作りはクリエイティブな行為であるということを意味していると言えるでしょう。

まとめ

ここまで読んでいただきありがとうございます。カレーについて書き始めたら一瞬で本題を上回る文章量に到達してしまいました。カレーについて軽率に話し始めるとこういう事が起きますので、要所要所で小出しにしていきたいと思います。



余談1 肩書きが「消える魔球」から「空前絶後のペーターカンパニー株式会社イェーイ代表」に変わりました。引き続きよろしくお願いします

余談2 打楽器の難しいところは物理的な特性の違うものを取り扱わなければならないという点です。太鼓とシンバルって音のなる物理的な仕組みが全く違う。電子パーカッションはその違いを無視して音が鳴るので生楽器に慣れてると逆にめっちゃむずいっす

余談3 中野さんの余談コーナーが人気なのでパクりました

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