生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え

「42だと!」ルーンクウォルがわめいた。「それだけか?750万年も待たせておいて、それだけなのか?」
「検算は徹底的におこないました」コンピュータが言った。「これが答えなのは絶対に間違いありません。あえて正直に申し上げれば、なにが問いなのかあなたがたはよくわかっていない。それが問題なのだと思います。」

ダグラス・アダムス 『銀河ヒッチハイク・ガイド』

先日、過去に弊バンドが演奏した清水大輔作曲の『すべての答え』の演奏がYouTubeにアップロードされた。4と2で分けられたテーマが印象的な吹奏楽曲だ。言うまでもなく、元ネタは『銀河ヒッチハイクガイド』より、『生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え』である。

とはいえ、疑問が残る。なぜ清水さんは4と2に分けたのだろうか。『生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問』が『6×9は?』というのは続編で綴られているとおりだ。銀河ヒッチハイクガイドをベースにやるなら、6/8+9/8でやった方がニンマリしてしまうと思うのだが。あとあんまりスラップスティック感無いよね… まぁ、色々な事情があるんだろう。

人には人の乳酸菌があるように、人には人の事情がある。それも含めて「まぁ、色々あるよな、にんげんだもの」とスルーできるのがイイ男というものではないだろうか。そうだろう?

そんなことはさておき、今回はSFの話だ。『ツァラトゥストラはかく語りき』でも聴きながら読んでくれ。

諸君、私はSFが好きだ

SFと聞いて、あなたは何を思い浮かべる? スター・ウォーズ? マトリックス? ターミネーター? バック・トゥ・ザ・フューチャー? 2001年宇宙の旅? 海底2万マイル? アンドロイドは電気羊の夢を見るか、あるいはブレードランナー? ソラリスの陽のもとに? R.U.R.? 夏への扉? 星を継ぐもの? 華氏451度? ニューロマンサー? 日本沈没? パラサイト・イヴ? 攻殻機動隊? ガンダム? エヴァンゲリオン? ボトムズ? ドラえもん?

SFといえば、「オタクっぽかったりして、どうも敷居が高いっていうか、意味分かんないっていうか、マジ無理なんですけど。っていうか毎日お風呂入ってます?」と言われもない誹謗中傷を全国の女子高生の皆さんから受けているともっぱらの噂のジャンルである。だが、よくよく考えてみてほしい。ドラえもんすらSFなのだ。ハードさのグラデーションはあるにせよ、おおよそ、未来を舞台にした(あるいはビックリドッキリメカが出てくるような)コンテンツは、多かれ少なかれSF要素があるのだ。

SFの良さは、宇宙や人間について遠回りに、かつ強い遠心力を持って大胆に剥き出しにするところにあるところだ。それは洗濯機に汚れ物をぶち込んで、洗剤でジャブジャブ洗い、ダウニーで仕上げ、脱水するような感じだ。イデアに付いた有象無象は洗い流され、しかもフワフワで暴力的なまでに優しい香りになっている。

かの大家、フィリップ.K.ディックはこう語る。「私は、作品の中で、宇宙さえ疑いさえする。私は、それが本物かどうかを強く疑い、我々すべてが本物かどうかを強く疑う」こうして読者は、現実感がガラガラと音を立てて崩れるのを感じ、あるときはアイデンティティ・クライシスにさえ陥る。この白昼夢のような、目眩のような感覚は『ディック感覚』と呼ばれる。この世界が無意味なノイズ以外の何物でもないことを「それは本当は何なのか?」というディックの問いは暴力的なまでに教え、押し付けてくる。そして間もなく虚無的な答えに行き着く。しかし、およそ意味などなにもないところに意味を見出すことを促すのも「それは、本当は何なのか?」という同じ問いかけなのである。

また、SFは現実では描けない物語を語る、一つのツールでもある。SFではしょっちゅう人類をやっつけているが、何かのメタファーであることもある。

  • 1950年代~60年代前半:核・原子力への恐怖の時代であり、『地球が静止する日』や『ゴジラ』が代表だろう。オキシジェン・デストロイヤーでゴジラをやっつけるが、科学者はこう考える。「たしかにこれでゴジラを退治できるが、これは人を滅ぼしうるのではないか?」
  • 1960年代後半:アメリカ中心に公民権運動が盛り上がる。『猿の惑星』では、白人社会の後にやってくる黒人系・黄色系社会を風刺している。
  • 1970年代:日本では『宇宙戦艦ヤマト』が流行った。その頃流行っていたのがノストラダムスの大予言的、終末思想である。対話できる宇宙人(アメリカっぽい)と攻撃してくる宇宙人(ドイツっぽい)のが、まだ戦争の空気を引っ張っているのだなぁ、と思える。
  • 1980年前半:アメリカン・ニューシネマ的暗い映画のカウンターとしてアホみたいなアッパーな映画が出てくる。『スター・ウォーズ』とか。お姫様助けて、悪者やっつけて、トロフィーもらってハッピーエンドって、これだけ並べたらただのアホやで。
  • 1980年~90年代:人工知能が搭載されたロボットが過去にやって来るのが『ターミネーター』、話し合いもできない奴らがやって来る『エヴァンゲリオン』。70年代はまだ対話できたのに、もはや会話すら成り立たない。宗教観の違いなどを描いているようでもある。
  • 2000年代:リメイクの『宇宙戦争』が印象的だ。我々の足元に敵は既に潜んでおり、見えないところに撒かれた種が発芽したときには一方的にやられるのみ、という感じ。アメリカでは9・11同時多発テロの頃だ。
  • 2010年代:抗いようのない自然。そして同時に、優しい嘘。『メランコリア』『インターステラー』とか。

SFは未来を描いているのではない、架空の世界でもって現実の裏を描いているのだ。

好奇心のゆくえ

知らないものを知ろうとして、望遠鏡を担いで、午前2時に踏切までかけて行くのは青春の1ページだ。我々には好奇心がある。知らないものを知ろうとするのは、人間が獲得した最も大きな祝福(あるいは呪い)の一つである。

かつて、古代の哲学者は「真理の探求」を目指した。というか、いつの時代も肩書こそ違えど「真理の探求」をしている。探求の上で分節し、数学、物理学(ニュートンの名著のタイトルが『自然哲学の数学的諸原理』というのは興味深い)や化学、工学などが生み出された。哲学は政治にも関係し、それは歴史となり、歴史を記録するためには文字が生まれ、文学が生まれる。歴史には宗教が密接に関わり、宗教の庇護のもと音楽や美術が育まれた。

学校の勉強に限らず、あらゆることは別々のことのように見えて、根の部分では繋がっているのだ。過去の人々が成してきた「それは、本当はどういうことなのか?」という問い。多くの学問において最高学位とされるのがPh.D.であることも、その証左の一つである。ここまでくると、理系と文系を分けるのって意味あるのか?って気しかしないな? もっとみんないろんな勉強して?

そして、SFは科学的要素(あるいは妄想)と文学的要素の集大成ともいえよう。ゆえに、SFはやがて来るかもしれない未来を描き、未来をもって人を描き、時に希望や夢を与え、時に虚無感を与えるのだ。これがSFの素晴らしい点である。

【蛇足】サイボーグ、あるいはオーグメンテッド・ヒューマン

もっぱら、時代は右も左もAI(人工知能)である。そして、AR(拡張現実、オーグメンテッド・リアリティ)での未知の体験!というのも増えてきた。

だが、サイボーグの話は滅多に聞かない。介護用や軍事用に筋力増強するための機械的付属骨格的な話はまれに見るが、それでもAIやARに比べれば全然だ… と思って調べていたら、筑波発のCYBERDYNEって会社が、生体電位信号を使って筋力アシストをするHALって装着型の商品を出していてゲラゲラ笑った。大丈夫? 人類に反旗翻したりしない? デイジーベル歌いだしたりしない?

ここまで科学が発展して、スマートフォンやネットワークを利用したソフト的な人間の拡張が進んできていることを考えれば、もっとハード的にも拡張出来るのでは?ガッツリ脳みそこねこねしないといけないのはちょっと怖いけれども、まずはちょっとしたことくらいならできそうな気がする。眼内コンタクトレンズという視力矯正技術があるけれども、これも一種の身体性拡張とも言えるだろうし、オマケ機能(録画とかディスプレイとか)つければあっという間に未来だ。北欧はスウェーデンでは、手に埋め込んだマイクロチップを乗車券の代わりにして電車を利用し、手をかざしてオフィスの出入り口を解錠するみたいなことが実際に行われているようである。もっとサイボーグ技術とかバイオハッキング技術とか発展しないかなぁ、と思う今日このごろです。キャシャーンがやらねば誰がやる。俺か?

【次回】日本標準時子午線への旅

中野(Hr. / ゴルガフリンチャム人)

参考文献

ペンギン・ハイウェイ (森見登美彦 著)
腐れ大学生もので有名な森見さんが書いた、青春版ソラリス。
嗚呼、なんと読後の爽やかな。
そういえば映画にもなったね。
せんせいのお人形 (藤の よう 著)
育児放棄され、親戚中をたらい回しにされる女子高生が、先生と出会う。
人というもの、知というものについて深く考えさせられる漫画だ。
2巻はもう、涙無くしては読めない。
アイデア大全 (読書猿 著)
前々回、問題解決大全でお世話になったが、今回もお世話になっています。

今週のリコメンド:Snail’s House / Ujico*

Future Bassというものがある。電子音を中心としたサウンド、シンセサイザーで作られたキラキラ・ピコピコ音が多く使われる、オーストラリアはシドニーを中心に波及したジャンルだ。このただでさえキラキラしてピコピコしたジャンルに、お砂糖、スパイス、ステキなものをいっぱい、それから博士のうっかりでケミカルXを足して出来上がったのがKawaii Future Bassだ。

同じエレクトロでもEDMがパリピ・陽キャの音楽だとしたら、その対極を行くスタイル。アニメ風のキャラをジャケにしていたり、柔らかで優しいリードを使っていたりと、とにかくKawaii。ゲームやアニメのサンプリング音源多いのも面白い。

この界隈の大御所の一人、というかKawaii Future Bassの生みの親がユートリウム博士…ではなく、Snail’s Houseだ。Ujico*という別名義もある。未来を感じろ。

星のカービィとChiptuneからの影響をビシビシ感じる。
めっちゃアガる。
新EP『love magic』が出た。そこからお気に入りの一曲。
bandcampから買えるぞ。
オタクカルチャーとフレンチエレクトロのミックスを得意とするMoe Shopとのコラボ。
気持ちいい。
せっかくなのでMoe Shopから一曲。
すげぇ踊れるしサウンドもクール、良い。
こういう曲、ありそうで音ゲーにしか無かったりするから困る。

余談1:ダグラス・アダムス曰く、「この答えはとても簡単さ。ジョークだよ。普通の、小さめの数じゃなきゃならなかったんだ。それでこの数を選んだ。2進数だとか、13進法だとか、チベットの僧侶だとかは全くのナンセンスだよ。僕は自分の机にすわって、庭を見つめ、「42でいいな」と考えてタイプしたんだ。これで話は終わり」

余談2:森見登美彦、超好きなんだよ。腐れ大学生もので有名だけど、ホラーも一級品だし。気づけば異世界に入っていた描写を書かせたら天才だよね。

余談3:最新のトレンドや技術を知らずにクラシックに走るのと、知ってクラシックをやるのは大きく違う。温故知新という諺もある。


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