ネットの大海の外側に漂うもの

個人的には、web 2.0は気に入らないね。それは、自分の死が気に入らないのと同じことだ。われわれは2.0に移行するだろう。好むと好まざるとに関わらず、そうなっていくんだ。

ポール・サイモン(シンガーソングライター)
Andrew Keen, The Cult of the Amateur: How Today’s internet Is Killing Our Culture より

先日、父親とラジオ流れる車内で、どのようにして音楽を聴くか、ということについて話が及んだ。
「色々聴くなら、Spotifyが便利だよ」
「なんじゃそりゃ」
「インターネットで色んな音楽が聴けるんだ。気分に合わせて、たとえば友達とドライブに行くときは共通の趣味の音楽を流せば良いし、ナイトドライブならジャズとかクラシックとか。好きそうな音楽も提案してくれる。プレミアム会員になれば選び放題だ」

音源はLPからCDになった。携帯媒体はテープからMD、MP3へ移り変わった。
今ではスマートフォンでインターネットから音楽が聴ける時代だ。いつでもどこでも、自分の好きな音楽が聴ける良い時代になった。

1969年にカリフォルニア大学のロサンゼルス校とサンタバーバラ校・スタンフォード研究所・ユタ大学が相互接続することでARPANETが始まり、1983年にはTCP/IPがARPANETに実装された。1990年にCERN研究員だったティム・バーナード・リーによってWWW、いわゆる今日のインターネットが構築された。
その後、政府、企業、あるいはギークや海賊達の手によって、このウェブは開拓され、今日では世界中に住む多くの人がコンピュータや携帯端末によってインターネットに繋がっている。
通信技術の発展は大容量ファイルをリアルタイムにダウンロードする、いわゆるストリーミングを可能とした。

ストリーミングサービスの功罪

YouTube。あなたのテレビ。
色々なコンテンツをYouTubeで試聴、というのも普通のこととなった。
有名アーティストの新曲、新商品のレビュー、ゲーム配信、過去の映像の配信、YouTuberの台頭、ひいてはバーチャルYouTuberの出現…

無料のYouTubeが覇権を握る中、定額制ストリーミングサービスも増えてきた。
音楽でいえば、Spotify、Apple Music、LINE Music、Amazon Prime Music、etc. まさに定額制音楽配信サービスは戦国時代。
動画配信サービスはNetflix、Hulu、Amazon Prime Videoの三国志。

定額制配信サービスは、それまで頻繁にCDやDVDを購入・レンタルしている人間にとって、大いなる福音である。月単位(あるいは年単位)で幾らか払えば、莫大な量のコンテンツに触れられるのだ。今までCD/DVDに支払っていた金額を思えば、微々たる金額である。煩わしい広告も無い。
また、リコメンド機能も優秀である。サービスを使い込めば使い込むほど、ユーザーの好みを理解し、好きそうな音楽をオススメしてくれる。
タワーレコードやHMVで試聴機を渡り歩いたのも今や久しく、シコシコとPCでリッピングしていた頃がもはや懐かしい。

だが、音楽配信サービスに限っていえば、スマホの普及とともに利用者数を増やしているものの、まだ利用していない人は全体の77.8%と圧倒的多数を占めるようだ。
アンケート結果によれば利用しない主な理由は、「定額で支払うことに抵抗がある」、「YouTubeなどで無料で楽しめる」、「価格が高い」など価格面での理由が上位とのこと。

たしかに、無料で音楽・映像が鑑賞できるというのは、ユーザーにとって非常に魅力的だろう。年金を払い、税金を払い、保険料を払い、底を着きそうな口座から更にお金を払うのか?
だが、確実にコンテンツ市場は縮小に向かっている。
クリエイターもお金を稼いで食べていかねばならない。あなたのリスペクトするクリエイターにお金が還元される仕組みを使っていかなければ、いつかボロボロに崩壊したコンテンツ市場を見ることになるかもしれない。これは個人的見解だが既にJ-POP市場は既に死に体だ。R.I.P.

ただ、有料配信サービスにしても、気を付けなければならないこともある。
配信が配信側の都合で突然視聴できなくなる恐れがある、ということだ。
これは先日の電気の瀧が逮捕されたことで実感した方も多いだろう。
やはり真にお気に入りのコンテンツは、クラウドではなく現実世界で持っておくべきではないだろうか。

開拓・冒険の喪失

先ほど、リコメンド機能が優秀と触れた。これも善し悪しである。
Amazonをよく使う方であれば、何か商品を片っ端から調べたときに、しばらくオススメ商品が似たような商品で埋まってしまって辟易したことがあるだろう。あれだ。

たとえば、中野は音楽を聴く手段として、日常的にSpotifyを利用している。
エレクトロニカ・ジャズ・クラシックなどをよく聴き、ロック・メタルはあまり聴かないので、オススメコンテンツがかなり絞り込まれている。
今では、 自動作成された各ジャンルのプレイリスト、新曲のリコメンドプレイリストを流せば、ほぼ間違いなく好みの音楽が流れる状況になっている。

これは裏を返せば、普段から聴く楽曲の傾向が決まりきってしまうということでもある。
当然、大きな新規開拓・冒険の機会が失われてしまう。新しい発見が失われてしまうというのは、ある種、面白みが無い。
好きなものが固まり、それを追求していくというのが大人ってものなのかもしれないが…

とはいえ、最近は年1回ではあるが「冒険プレイリスト」という普段聴かないジャンルのプレイリストも自動作成されたりしている。このあたりの冒険不足という点も、しばらくすれば解決されるのかもしれない。

ネットの大海の外側に漂うもの

膨大な量のコンテンツが毎秒のようにインターネットにアップロードされている。このインプリメーレというバンドも演奏をアップロードしている。
https://www.youtube.com/channel/UCHQp_qaplAZmeGtMDT6RH4Q
時間のある際に視聴いただければ。そして、チャンネル登録をお願いします!
まさか、一生縁の無いと思っていたクリシェを使う日が来ようとは。

日本においては、現在の20代後半がインターネットが今ほど日常に浸透していない時代を知る最後の世代なのかもしれない。
こうもインターネットに色々な情報がアップロードされ、あらゆるものが検索できてしまう時代になってくると、インターネットにはすべてがあると錯覚してしまうのでは無いだろうか?
デジタルネイティブ――生まれた頃からウェブに繋がったパソコンやスマートフォンを持っているこれからの世代――は、なおさらそう思ってしまうのかもしれない。

インターネットにあるものがこの世の全てでは無い。それは大いなる間違いだ。
インターネットはあくまでもツールだ。それは答えでは無い。

これから先、 IoTの普及とともに、人とネットの繋がりはさらに深く、依存も強くなっていくだろう。
インターネットに無い情報、検索しても埋没してしまう情報は現実にも無いものとして扱われるような、SFのようなディストピアが来る、あるいはもう到来しているかもしれない。
もしそうなったとき、ネットの大海の外側に漂うもの、アーカイブ化されなかった物やアナログ・生・リアル――我々の標榜する「ライブ感」もその一つに入るのかもしれない――そういったものはどうなるのだろうか?
時間に晒されて消滅する?あるいは希少性が高まり価値が出る?

未来がどう転ぶかは分からないが、音楽に携わる者としてはこれら外側に漂うものが死に絶えてしまわないようにしないといけないのではないか。
ツールを正しく有効に活用し、次の時代に何を残すのか、今一度、考えてみる時期に来ているのかもしれない。

【次回】『誰が音楽をタダにした?』

中野(30代・男性・Hr.・平成ジャンプ)

余談1:とはいえ、碌に検索もせずに「Excelでこういう計算したいんだけどどうすりゃいい?」とか「こんなエラーが出てるんだけどどうすりゃいい?」とか聞かれると、「お前はよぉ!自分で探すってことをできねぇのかよ!?」と叫びたくなる。

余談2:コラムを書くために久しぶりに図書館に行ったが、本当に図書館は人類の叡智だ。開拓・冒険に溢れている。図書館は良い。

余談3:この文章を書いている最中に退位礼正殿の儀があった。上皇には感謝と尊敬の念しかない。人々に安寧と幸せを。

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